李 林甫(り りんぽ、? - 天宝11載(752年))は、唐代玄宗朝の政治家であり、唐朝の宗室。貴族派の代表として、張九齢など科挙出身者の派閥との権力抗争に勝ち、その後も他の政治家たちを謀略の末に追い落とし、19年も宰相の地位にあった。しかし、楊貴妃のいとこである外戚の楊国忠との権力争いに苦戦し、死後に庶民の地位に落とされた。安史の乱の遠因をつくるなど、唐王朝を衰退に向かわせたとされる。李淵(唐の高祖)の祖父である李虎の5世孫にあたり、李淵のいとこにあたる長平王・李叔良の孫。絵画の名手として知られた李思訓の弟・李思誨の子にあたる。兄は李林宗、子に李岫、李崿......
李 林甫(り りんぽ、? - 天宝11載(752年))は、唐代玄宗朝の政治家であり、唐朝の宗室。貴族派の代表として、張九齢など科挙出身者の派閥との権力抗争に勝ち、その後も他の政治家たちを謀略の末に追い落とし、19年も宰相の地位にあった。しかし、楊貴妃のいとこである外戚の楊国忠との権力争いに苦戦し、死後に庶民の地位に落とされた。安史の乱の遠因をつくるなど、唐王朝を衰退に向かわせたと......