李 拯(り じょう、? - 866年)は、中国・唐の詩人。隴西(甘粛省)の出身。字は昌時。咸通12年(871年)の進士。節度使の幕府を転々とする内、黄巣の乱に遭い、平陽(山西省臨汾)に避難していたが、僖宗に召し出され、尚書郎から老功郎中・知制誥となった。しかし光啓2年(866年)、朱玫(しゅばい)の叛乱に際し、叛乱軍に捕らえられて翰林学士に任ぜられ、節義を穢したことへの後悔と朱玫の横暴に対する不平とを抱いていたが、朱玫が滅ぼされた時、乱軍の中で殺された。作品に、『朝より退いて終南山を望む』(七言絶句)がある。
李 拯(り じょう、? - 866年)は、中国・唐の詩人。隴西(甘粛省)の出身。字は昌時。咸通12年(871年)の進士。節度使の幕府を転々とする内、黄巣の乱に遭い、平陽(山西省臨汾)に避難していたが、僖宗に召し出され、尚書郎から老功郎中・知制誥となった。しかし光啓2年(866年)、朱玫(しゅばい)の叛乱に際し、叛乱軍に捕らえられて翰林学士に任ぜられ、節義を穢したことへの後悔と朱玫......