李 元度(り げんたく、''Li Yuandu''、1821年 ‐ 1887年)、字は次青は、清末の湘軍の指揮官、学者。湖南省平江県沙塅村出身。父親は豆腐売りという貧しい家庭に育ったが、18歳で秀才となり、23歳で挙人となって、黔陽県の儒学の教師となった。1853年、郴州の州学の訓導となった。太平天国が儒学を非難していることに憤り、衡陽にいた湘軍の曽国藩のもとに、平江で召募した兵5百人とともに参加した。曽国藩は2年間兵の訓練を行っていたが、長沙の靖港鎮で惨敗を喫したとき、曽国藩は李元度に遺書を残して投水自殺しようとしたが、すくい上げられ、李元度は曽国藩をな......
李 元度(り げんたく、''Li Yuandu''、1821年 ‐ 1887年)、字は次青は、清末の湘軍の指揮官、学者。湖南省平江県沙塅村出身。父親は豆腐売りという貧しい家庭に育ったが、18歳で秀才となり、23歳で挙人となって、黔陽県の儒学の教師となった。1853年、郴州の州学の訓導となった。太平天国が儒学を非難していることに憤り、衡陽にいた湘軍の曽国藩のもとに、平江で召募した兵......