杉 重輔(すぎ しげすけ、生年不詳 - 弘治3年3月4日(1557年4月3日))は戦国時代の武将。大内氏の重臣。杉重矩の子で正重の兄。重良の父。父は陶晴賢による主君・大内義隆殺害と大友晴英(大内義長)の大内氏当主擁立(大寧寺の変)に加担したが、その後晴賢に謀殺される。重輔はそれを深く恨んでおり、晴賢への報復の機会を狙っていた。ところが、天文24年(1555年)の厳島の戦いで晴賢が毛利元就に討たれると、突如挙兵して、晴賢の居城があった富田若山城(今の山口県周南市)を攻めて、留守を守る晴賢の嫡男・陶長房や問田隆盛(石見守護代)らを攻め滅ぼした。これを聞いた内藤......
杉 重輔(すぎ しげすけ、生年不詳 - 弘治3年3月4日(1557年4月3日))は戦国時代の武将。大内氏の重臣。杉重矩の子で正重の兄。重良の父。父は陶晴賢による主君・大内義隆殺害と大友晴英(大内義長)の大内氏当主擁立(大寧寺の変)に加担したが、その後晴賢に謀殺される。重輔はそれを深く恨んでおり、晴賢への報復の機会を狙っていた。ところが、天文24年(1555年)の厳島の戦いで晴賢が......