朱載(しゅ さいせん、? - 1565年)は、明の皇族。父は第12代皇帝の嘉靖帝(朱厚熜)で四男。1539年に兄の朱載垕(のちの隆慶帝)と共に王に封じられ、兄は裕王に、自らは景王になった。1549年に皇太子の朱載壡が早世すると、諸臣より次の皇太子に推挙された。しかし父帝からは煙たがられており、1561年には封地の徳安にほとんど強制的に赴かされたという。1565年に死去したが、その死を知ったときに父帝は「やっと死んだ。これで太子に立てる必要も無くなった」と喜んだとまで伝わっている。
朱載(しゅ さいせん、? - 1565年)は、明の皇族。父は第12代皇帝の嘉靖帝(朱厚熜)で四男。1539年に兄の朱載垕(のちの隆慶帝)と共に王に封じられ、兄は裕王に、自らは景王になった。1549年に皇太子の朱載壡が早世すると、諸臣より次の皇太子に推挙された。しかし父帝からは煙たがられており、1561年には封地の徳安にほとんど強制的に赴かされたという。1565年に死去したが、その......