朱放(しゅ ほう)は、中国・唐の詩人。湖北省襄陽市の出身。字は長通。初め漢水の岸に住んでいたが、飢饉に遭い、剡渓(浙江省嵊県の西南)のほとりに移住して、隠者の生活を送った。一時期、江西節度使(江西省南昌市)に招かれて参謀となったが、官僚生活が肌に合わず、辞職して帰った。貞元2年(786年)にも左拾遺に任ずる旨の詔書を受けたが、辞退して、無官のまま世を終えた。作品に、『題竹林寺(竹林寺に題す)』(五言絶句)がある。
朱放(しゅ ほう)は、中国・唐の詩人。湖北省襄陽市の出身。字は長通。初め漢水の岸に住んでいたが、飢饉に遭い、剡渓(浙江省嵊県の西南)のほとりに移住して、隠者の生活を送った。一時期、江西節度使(江西省南昌市)に招かれて参謀となったが、官僚生活が肌に合わず、辞職して帰った。貞元2年(786年)にも左拾遺に任ずる旨の詔書を受けたが、辞退して、無官のまま世を終えた。作品に、『題竹林寺(竹......