本間 棗軒(ほんま そうけん、文化 (元号)|文化元年(1804年) - 明治5年2月8日 (旧暦)|2月8日(1872年3月16日))は、江戸時代の医師。初名は資章、後に救。字は和卿、通称玄調。常陸国小川村に生まれ、原南陽に学び、江戸で杉田立卿、箕作阮甫、京都で高階枳園、長崎ではフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト|シーボルト、華岡青洲らに師事した。江戸に帰還し開業。水戸藩主徳川斉昭の侍医となり、弘道館医学館の教授を勤めた。青洲の開発した麻佛散を使った全身麻酔手術を行ったことで有名。1837年に『瘍科秘録』を著した。
本間 棗軒(ほんま そうけん、文化 (元号)|文化元年(1804年) - 明治5年2月8日 (旧暦)|2月8日(1872年3月16日))は、江戸時代の医師。初名は資章、後に救。字は和卿、通称玄調。常陸国小川村に生まれ、原南陽に学び、江戸で杉田立卿、箕作阮甫、京都で高階枳園、長崎ではフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト|シーボルト、華岡青洲らに師事した。江戸に帰還し開業。水戸藩......