本寿院(ほんじゅいん、文化4年(1807年) - 明治18年(1885年))は、江戸幕府の12代将軍・徳川家慶の側室で、13代将軍・徳川家定の生母。他にも2人の男児を出産したが、いずれも早世した。本寿院は落飾後の院号で、実名は美津、堅子とも言う。父は幕臣の跡部正賢(跡部正寧とする説もある)。
本寿院(ほんじゅいん、文化4年(1807年) - 明治18年(1885年))は、江戸幕府の12代将軍・徳川家慶の側室で、13代将軍・徳川家定の生母。他にも2人の男児を出産したが、いずれも早世した。本寿院は落飾後の院号で、実名は美津、堅子とも言う。父は幕臣の跡部正賢(跡部正寧とする説もある)。