本多 政武(ほんだ まさたけ)は、大和国高取藩の第2代藩主。慶長3年(1598年)、初代藩主・俊政の長男として生まれる。慶長15年(1610年)、父の死去により家督を継ぐ。慶長19年(1614年)からの大坂の陣では徳川方に与し、翌年の夏の陣では道明寺口の戦いで武功を挙げた。囲碁の名人でもあり、慶長15年(1610年)には囲碁本因坊戦で勝利している。また、大坂城修築工事や高野山大塔造営奉行などで活躍した。寛永9年(1632年)には徳川秀忠の遺物である銀300枚を拝領している。寛永14年(1637年)7月13日に死去した。享年40。嗣子がなかったため、高取藩本......
本多 政武(ほんだ まさたけ)は、大和国高取藩の第2代藩主。慶長3年(1598年)、初代藩主・俊政の長男として生まれる。慶長15年(1610年)、父の死去により家督を継ぐ。慶長19年(1614年)からの大坂の陣では徳川方に与し、翌年の夏の陣では道明寺口の戦いで武功を挙げた。囲碁の名人でもあり、慶長15年(1610年)には囲碁本因坊戦で勝利している。また、大坂城修築工事や高野山大塔......