本多忠雄(ほんだ ただお、明和2年(1765年) - 文化13年(1816年))は、陸奥国泉藩主・本多忠籌の次男。母は松浦誠信の娘。子は山口弘致継室(本多忠誠の養女)。通称、雄之進。陸奥泉藩主本多忠籌の嫡子だった。天明5年(1785年)3月13日、病気を理由に廃嫡された。それにともない、庶子で長兄の忠誠が嫡子となり、父の隠居後、藩主の座を継いだ。文化13年(1816年)12月23日、死去。たたおCategory:江戸時代の大名の嫡男Category:廃嫡された人物Category:1765年生
本多忠雄(ほんだ ただお、明和2年(1765年) - 文化13年(1816年))は、陸奥国泉藩主・本多忠籌の次男。母は松浦誠信の娘。子は山口弘致継室(本多忠誠の養女)。通称、雄之進。陸奥泉藩主本多忠籌の嫡子だった。天明5年(1785年)3月13日、病気を理由に廃嫡された。それにともない、庶子で長兄の忠誠が嫡子となり、父の隠居後、藩主の座を継いだ。文化13年(1816年)12月23......