本多 忠国(ほんだ ただくに)は、大和郡山藩、陸奥福島藩を経て播磨姫路藩の藩主。忠勝系本多家宗家6代。陸奥守山藩主・松平頼元の次男に生まれる。水戸藩初代藩主・徳川頼房の孫で、2代藩主・徳川光圀の甥にあたる。大和郡山藩主本多政長の養子となり、政長死後、家督相続と同時に福島15万石に転封、その後姫路15万石に転封となる。赤穂浪士吉田兼亮の娘婿伊藤治興が家臣にいるためか、1703年(元禄16年)に吉田兼亮の遺児吉田兼直(幼名は伝内)が連座して伊豆大島へ遠島となると、幕府に許可されている持ち込み上限の金20両・米20俵のぎりぎりに近い、金19両米19俵を伝内に贈っ......
本多 忠国(ほんだ ただくに)は、大和郡山藩、陸奥福島藩を経て播磨姫路藩の藩主。忠勝系本多家宗家6代。陸奥守山藩主・松平頼元の次男に生まれる。水戸藩初代藩主・徳川頼房の孫で、2代藩主・徳川光圀の甥にあたる。大和郡山藩主本多政長の養子となり、政長死後、家督相続と同時に福島15万石に転封、その後姫路15万石に転封となる。赤穂浪士吉田兼亮の娘婿伊藤治興が家臣にいるためか、1703年(元......