本多 忠伸(ほんだ ただのぶ)は、陸奥泉藩の第7代(最後)の藩主。忠以系本多家10代。嘉永5年(1852年)1月22日、本多忠行の長男として生まれる。第6代藩主本多忠紀が戊辰戦争において旧幕府軍に与して新政府軍に抵抗したため、明治元年(1868年)12月に忠紀は強制隠居処分に処された。このため、養子である忠伸が家督を相続した。このとき、所領も2万石から1万8000石に減封された。明治2年(1869年)の版籍奉還で泉藩知事となる。明治4年(1871年)の廃藩置県で藩知事を免職された。明治36年(1903年)3月5日に死去した。享年52。たたのふcategor......
本多 忠伸(ほんだ ただのぶ)は、陸奥泉藩の第7代(最後)の藩主。忠以系本多家10代。嘉永5年(1852年)1月22日、本多忠行の長男として生まれる。第6代藩主本多忠紀が戊辰戦争において旧幕府軍に与して新政府軍に抵抗したため、明治元年(1868年)12月に忠紀は強制隠居処分に処された。このため、養子である忠伸が家督を相続した。このとき、所領も2万石から1万8000石に減封された。......