本多 幸七郎(ほんだ こうしちろう、弘化2年(1845年) - 明治38年(1905年) )は、幕末の旗本。名は忠直。禄高400石。幕府陸軍の士官として歩兵頭を務める。戊辰戦争では大鳥圭介の腹心として、伝習隊を率いて南関東から箱館まで転戦した。戊辰戦争後は駿府に行き、静岡藩が設立した沼津兵学校の教官を務める。
本多 幸七郎(ほんだ こうしちろう、弘化2年(1845年) - 明治38年(1905年) )は、幕末の旗本。名は忠直。禄高400石。幕府陸軍の士官として歩兵頭を務める。戊辰戦争では大鳥圭介の腹心として、伝習隊を率いて南関東から箱館まで転戦した。戊辰戦争後は駿府に行き、静岡藩が設立した沼津兵学校の教官を務める。