本多 副充 (ほんだ すけみつ、宝暦6年(1756年) - 文政4年9月2日(1821年9月27日))は、福井藩家老。本多家第6代当主。父は本多副紹。正室は鯖江誠照寺の娘。養子は兄副脩の子本多副久。幼名長之丞。通称内蔵助。宝暦6年(1756年)、福井藩家老本多副紹の三男として生まれる。明和9年(1772年)兄2人が疱瘡で夭折したため嫡男となる。安永9年(1780年)父副紹の死去により家督相続。天明7年(1787年)兄副脩の子副久を養子とする。寛政2年(1790年)姪長(兄副脩の娘)を彦根藩家老木俣守前に嫁がせる。文化2年(1805年)大坂の陣屏風作成のため......
本多 副充 (ほんだ すけみつ、宝暦6年(1756年) - 文政4年9月2日(1821年9月27日))は、福井藩家老。本多家第6代当主。父は本多副紹。正室は鯖江誠照寺の娘。養子は兄副脩の子本多副久。幼名長之丞。通称内蔵助。宝暦6年(1756年)、福井藩家老本多副紹の三男として生まれる。明和9年(1772年)兄2人が疱瘡で夭折したため嫡男となる。安永9年(1780年)父副紹の死去に......