本因坊知伯(ほんいんぼう ちはく、宝永7年(1710年) - 享保18年(1733年)8月20日)は江戸時代の囲碁棋士で、六世本因坊。武蔵国生まれ、本因坊道知門下、六段。本姓は井口、道知の甥にあたる。法名は日了。父は武州多摩郡井草村の百姓井口半衛門で、母は本因坊道知の姉。享保7年(1722年)に、13歳四段格で本因坊道知の跡目となる。この年から御城碁に出仕。享保11年から部屋住みのまま十人扶持を受けるようになる。享保12年に道知が死去し、知伯が家督を継いで六世本因坊となる。しかし享保18年8月20日に突然卒倒し、家族が医師と各家元に急報したが、その参集を待......
本因坊知伯(ほんいんぼう ちはく、宝永7年(1710年) - 享保18年(1733年)8月20日)は江戸時代の囲碁棋士で、六世本因坊。武蔵国生まれ、本因坊道知門下、六段。本姓は井口、道知の甥にあたる。法名は日了。父は武州多摩郡井草村の百姓井口半衛門で、母は本因坊道知の姉。享保7年(1722年)に、13歳四段格で本因坊道知の跡目となる。この年から御城碁に出仕。享保11年から部屋住み......