木脇 祐守(きわき すけもり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。日向伊東氏の家臣。天文20年(1551年)、26歳で鬼ヶ城の城主に命じられる。鬼ヶ城は島津忠親の領地飫肥城を目の前にした最前線の出城であり、島津豊州家との合戦では重要な拠点だったが、佐土原城、清武城といった内地の拠点とは日南海岸沿いの長細い経路によって大きく寸断された地勢にあるため、僅かな反撃を受けて危機に陥ることもあった。永禄11年(1569年)に飫肥城攻略が成就するまでの約20年間に渡って祐守は鬼ヶ城を守り、伊東義祐は自らの手記でその忠節に触れている。島津忠親が去った後、飫肥には......
木脇 祐守(きわき すけもり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。日向伊東氏の家臣。天文20年(1551年)、26歳で鬼ヶ城の城主に命じられる。鬼ヶ城は島津忠親の領地飫肥城を目の前にした最前線の出城であり、島津豊州家との合戦では重要な拠点だったが、佐土原城、清武城といった内地の拠点とは日南海岸沿いの長細い経路によって大きく寸断された地勢にあるため、僅かな反撃を受けて危機に......