曽根 虎盛(そね とらもり、生没年不詳)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏の家臣。九郎左衛門尉。「曽根系図」によれば、父は曽根昌世とされる。武田信玄の奥近習六人衆の一人である曽根昌世の子として生まれたという。信玄の嫡男武田義信の乳人子であり義信に仕えており、「美和神社文書」によれば、永禄8年(1565年)6月には義信とともに甲斐国二宮美和神社(笛吹市)へ太刀を奉納している。同年8月には義信の謀反が発覚し、「曽根系図」に拠れば義信事件に連座して飯富虎昌、長坂昌国(義信事件に連座し誅されたのは、昌国ではなく長坂勝繁)とともに「曽根周防」が成敗されたという。ただし、......
曽根 虎盛(そね とらもり、生没年不詳)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏の家臣。九郎左衛門尉。「曽根系図」によれば、父は曽根昌世とされる。武田信玄の奥近習六人衆の一人である曽根昌世の子として生まれたという。信玄の嫡男武田義信の乳人子であり義信に仕えており、「美和神社文書」によれば、永禄8年(1565年)6月には義信とともに甲斐国二宮美和神社(笛吹市)へ太刀を奉納している。同年8月に......