曹 廷杰(そう ていけつ)は清末民初の地理学者。別名は楚訓、字は彝卿。筆名は亜東平倩人。1870年に秀才となった。1874年に北京の国史館に入り、進士の資格を得た。1883年、侯選州判として吉林に派遣され、吉林、奉天、黒龍江を実地調査し、多数の文献にあたって『東北辺防輯要』を2年かけてまとめた。1885年、琿春靖辺後路営統領葛勝林はかねてロシアからの防衛に関心を持っていたが、曹廷杰が地理に精通していることを知り、曹廷杰に『東三省輿地険要図』を作成させた。曹廷杰は『東三省輿地険要図』と『東北辺防輯要』を吉林将軍希元に提出したところ、希元は即座にロシアとの国境......
曹 廷杰(そう ていけつ)は清末民初の地理学者。別名は楚訓、字は彝卿。筆名は亜東平倩人。1870年に秀才となった。1874年に北京の国史館に入り、進士の資格を得た。1883年、侯選州判として吉林に派遣され、吉林、奉天、黒龍江を実地調査し、多数の文献にあたって『東北辺防輯要』を2年かけてまとめた。1885年、琿春靖辺後路営統領葛勝林はかねてロシアからの防衛に関心を持っていたが、曹廷......