曹 延禄(そう えんろく、Cao Yan-lu、? - ?)は、北宋時期の曹氏帰義軍節度使の六代目である。曹元忠の子である。曹延恭の死後、位を継いだ。宋太祖の太平興国5年(980年)、検校太保、沙州刺史の位を授かり、帰義軍節度使、瓜沙等州観察処置営田押蕃落等使に充てられた。咸平4年(1001年)正月戊子、宋真宗は、曹延禄を譙郡開国公に封じた。久しからずして、曹延禄は、親戚の曹宗寿に殺された。宋は、覊縻政策をもって対峙したので、曹宗寿は、帰義軍節度使でありえた。
曹 延禄(そう えんろく、Cao Yan-lu、? - ?)は、北宋時期の曹氏帰義軍節度使の六代目である。曹元忠の子である。曹延恭の死後、位を継いだ。宋太祖の太平興国5年(980年)、検校太保、沙州刺史の位を授かり、帰義軍節度使、瓜沙等州観察処置営田押蕃落等使に充てられた。咸平4年(1001年)正月戊子、宋真宗は、曹延禄を譙郡開国公に封じた。久しからずして、曹延禄は、親戚の曹宗寿......