曳田康貞(ひけた やすさだ、生没年不詳)は鎌倉時代の武士。通称・曳田大夫、子に重久。平安時代末期に因幡国の豪族の佐治道貞の子として生まれた。理由は不明だが父の知行する佐治郷の郷司職を継がず、八上郡曳田郷に所領を持ち、在地名の「曳田」を姓に名乗った。佐治郷を継承した弟の佐治重貞は当時幼少であったため、康貞が長らく佐治郷司職の代行をしていたが、弟の成人後も所職を返還せず、実子の重久に譲渡してしまったために鎌倉幕府に訴えられた。建暦3年(1213年)11月、争っていた重貞が和田合戦で功を為したのが後押しとなり、訴訟に敗れ、所職を返還した。この後、史料上からは康貞......
曳田康貞(ひけた やすさだ、生没年不詳)は鎌倉時代の武士。通称・曳田大夫、子に重久。平安時代末期に因幡国の豪族の佐治道貞の子として生まれた。理由は不明だが父の知行する佐治郷の郷司職を継がず、八上郡曳田郷に所領を持ち、在地名の「曳田」を姓に名乗った。佐治郷を継承した弟の佐治重貞は当時幼少であったため、康貞が長らく佐治郷司職の代行をしていたが、弟の成人後も所職を返還せず、実子の重久に......