日奉 宗頼(ひまつり の むねより、生没年不詳)は、は武蔵七党の1つ西党の祖。子に日奉宗妙、日奉宗長、日奉宗楯、西宗頼。日奉氏の祖は、大伴氏と同じ高皇産霊尊の子孫といわれる。承平元年(931年)、京より武蔵守として下向し国府(府中)で政務にあたり、任期満了ののちも帰郷せずに土着したともいう。また、西党の1つである小川氏に伝わる系図(『日奉氏小川系図』)では藤原宗頼の子で武蔵に下ったとされているが、これを裏付ける史料は発見されていない。土着したのは、日野郷の土淵の地であり、近郷の油井の牧、小川の牧を支配した。彼の子孫は、武蔵国府の西側に勢力を拡げたので西党と......
日奉 宗頼(ひまつり の むねより、生没年不詳)は、は武蔵七党の1つ西党の祖。子に日奉宗妙、日奉宗長、日奉宗楯、西宗頼。日奉氏の祖は、大伴氏と同じ高皇産霊尊の子孫といわれる。承平元年(931年)、京より武蔵守として下向し国府(府中)で政務にあたり、任期満了ののちも帰郷せずに土着したともいう。また、西党の1つである小川氏に伝わる系図(『日奉氏小川系図』)では藤原宗頼の子で武蔵に下っ......