新納 忠秀(にいろ ただひで、? - 寛永17年7月22日(1640年9月7日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての薩摩国島津氏の陪臣で、新納忠元の家臣。通称は四郎左衛門、受領名は宮内少輔、入道名は慶雲。父は新納康久、義父は新納忠貞。兄弟に新納久饒、新納旅庵。妻は合志伊勢守の娘。子に肝付兼康、新納久親。『本藩人物誌』では忠秀を、新納氏庶流の新納伊勢守康久の三男とし(旅庵も康久の三男としており不詳)、同じ新納氏庶流である忠貞の養子となった。若年の頃より新納忠元に付き従い、諸所で軍功を上げた。天正5年(1577年)、伊東氏家臣で野尻城主の福永祐友が島津......
新納 忠秀(にいろ ただひで、? - 寛永17年7月22日(1640年9月7日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての薩摩国島津氏の陪臣で、新納忠元の家臣。通称は四郎左衛門、受領名は宮内少輔、入道名は慶雲。父は新納康久、義父は新納忠貞。兄弟に新納久饒、新納旅庵。妻は合志伊勢守の娘。子に肝付兼康、新納久親。『本藩人物誌』では忠秀を、新納氏庶流の新納伊勢守康久の三男とし(旅庵も......