新納 忠澄(にいろ ただずみ、生年不詳 - 永禄2年9月12日(1559年10月12日))は、室町時代後期の薩摩の人。薩摩守護島津氏の一族である新納氏の庶流。父は友義。通称右衛門入道、号は魚隠。官は能登守。子に康久。新納氏庶流。是久の孫にあたる。出家して漁隠と号す。叔母にあたる常盤の願いで、常盤の子の菊三郎(後の島津忠良)に仏教・儒学・政治学を教える。また志布志の新納本家が離散すると、同じく庶流で甥にあたる祐久を忠良に引き合わせる。この祐久の子が後の忠元である。Category:室町時代の人物たたすみCategory:1559年没
新納 忠澄(にいろ ただずみ、生年不詳 - 永禄2年9月12日(1559年10月12日))は、室町時代後期の薩摩の人。薩摩守護島津氏の一族である新納氏の庶流。父は友義。通称右衛門入道、号は魚隠。官は能登守。子に康久。新納氏庶流。是久の孫にあたる。出家して漁隠と号す。叔母にあたる常盤の願いで、常盤の子の菊三郎(後の島津忠良)に仏教・儒学・政治学を教える。また志布志の新納本家が離散す......