斎藤統安(さいとうむねやす、?-寛永16年1月(1639年))は安土桃山時代から江戸時代初期の武将。豊後国大友氏、後に柳川城主立花氏家臣で江戸時代は陸奥国棚倉藩士転じて筑後国柳河藩士となる。諱は統安。『立花家旧記』では統康とも。幼名は四郎。通称は民部少輔、瀬右衛門、左馬助、市左衛門。出家号は休無。大友家の家臣である斎藤鎮実の次男である。妹は豊鐃(ぶにょう)弾正の妻、立花出雲守家臣である伊藤外記の妻、足田氏の妻。夫人は稲葉良通(伊予守)の家臣である渡辺氏の娘。子は1男1女。従兄弟に立花宗茂、立花直次。
斎藤統安(さいとうむねやす、?-寛永16年1月(1639年))は安土桃山時代から江戸時代初期の武将。豊後国大友氏、後に柳川城主立花氏家臣で江戸時代は陸奥国棚倉藩士転じて筑後国柳河藩士となる。諱は統安。『立花家旧記』では統康とも。幼名は四郎。通称は民部少輔、瀬右衛門、左馬助、市左衛門。出家号は休無。大友家の家臣である斎藤鎮実の次男である。妹は豊鐃(ぶにょう)弾正の妻、立花出雲守家臣......