斎藤 宮内 (さいとう くない、生没年不詳)は、江戸時代前期の武士。高家・吉良家の家老。『赤城年鑑』にある吉良家からの届書の花押から、諱は忠長(ただなが)と推定されている。赤穂事件の頃、吉良家の家老職にはこの斎藤と小林平八郎・左右田孫兵衛・松原多仲の4名がおり、斎藤はその中でも150石取りの筆頭家老の地位にあった。しかし吉良屋敷討入り当日は長屋の壁を壊して逃げたとも、赤穂浪士にお茶を出して機嫌をとったとも噂され、不名誉な逸話が多い。4家老のうち、討ち死にした小林平八郎、負傷した松原多仲、吉良家改易後吉良義周に付き従って信濃国諏訪藩の預り所までお供した左右田......
斎藤 宮内 (さいとう くない、生没年不詳)は、江戸時代前期の武士。高家・吉良家の家老。『赤城年鑑』にある吉良家からの届書の花押から、諱は忠長(ただなが)と推定されている。赤穂事件の頃、吉良家の家老職にはこの斎藤と小林平八郎・左右田孫兵衛・松原多仲の4名がおり、斎藤はその中でも150石取りの筆頭家老の地位にあった。しかし吉良屋敷討入り当日は長屋の壁を壊して逃げたとも、赤穂浪士にお......