斎藤 利良(さいとう としなが、生年不詳 - 天文7年9月1日(1538年9月23日))は、戦国時代の武将。美濃守護代。美濃斎藤氏持是院家6代目当主。持是院家3代目当主斎藤利親の嫡男で斎藤妙純の孫。兄弟に花村外記利房。幼名は勝千代、新四郎と称す。大和守。法名は権大僧都法印岱宗妙全、持是院妙全。父と祖父が明応5年(1497年)12月に近江で戦死した時は幼少の為、2人の叔父又四郎、彦四郎が持是院家の当主を継いだ。美濃守護土岐政房に仕えたが、その後継をめぐり意見が対立した。利良は政房の嫡男頼武を推し、政房と小守護代長井長弘は次男頼芸を推した。それぞれ派閥を組み、......
斎藤 利良(さいとう としなが、生年不詳 - 天文7年9月1日(1538年9月23日))は、戦国時代の武将。美濃守護代。美濃斎藤氏持是院家6代目当主。持是院家3代目当主斎藤利親の嫡男で斎藤妙純の孫。兄弟に花村外記利房。幼名は勝千代、新四郎と称す。大和守。法名は権大僧都法印岱宗妙全、持是院妙全。父と祖父が明応5年(1497年)12月に近江で戦死した時は幼少の為、2人の叔父又四郎、彦......