文煜(ぶんいく、''Wenyu''、? - 1884年)、字は星巌。清朝の官僚。満州正藍旗人。フォイモ氏(Foimo hala、費莫氏)。刑部郎中、直隷霸昌道、四川按察使などをへて、1853年に江寧布政使に任命された。当時南京は太平天国軍に占領されており、文煜は欽差大臣のキシャン(琦善)に従って江北大営に駐屯した。1854年、キシャンが病死すると配下の郷勇と食糧補給の事務を引き継いだ。揚州から出撃する太平天国軍と戦ってしばしば打ち破った。1857年、江蘇布政使に転任となり、江南大営の補給を担当した。その後直隷布政使に異動となり、さらに山東巡撫に抜擢された。......
文煜(ぶんいく、''Wenyu''、? - 1884年)、字は星巌。清朝の官僚。満州正藍旗人。フォイモ氏(Foimo hala、費莫氏)。刑部郎中、直隷霸昌道、四川按察使などをへて、1853年に江寧布政使に任命された。当時南京は太平天国軍に占領されており、文煜は欽差大臣のキシャン(琦善)に従って江北大営に駐屯した。1854年、キシャンが病死すると配下の郷勇と食糧補給の事務を引き継......