承胤法親王(しょういんほっしんのう、文保元年(1317年)- 天授3年4月9日(1377年5月16日))は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての法親王。父は後伏見天皇。母は従三位正親町(藤原)守子(権大納言正親町実明女)。光聚院宮とも称される。光厳天皇・光明天皇らの異母兄弟で、同母兄弟に長助法親王・亮性法親王・璜子内親王(章徳門院)がいた。
承胤法親王(しょういんほっしんのう、文保元年(1317年)- 天授3年4月9日(1377年5月16日))は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての法親王。父は後伏見天皇。母は従三位正親町(藤原)守子(権大納言正親町実明女)。光聚院宮とも称される。光厳天皇・光明天皇らの異母兄弟で、同母兄弟に長助法親王・亮性法親王・璜子内親王(章徳門院)がいた。