才間 河内守(さいま かわちのかみ、生年不詳 - 天文17年2月14日(1548年3月23日))は、戦国時代の武将、甲斐武田家臣。河内守は通称で、名は信綱。出自、本拠ともども不詳である。武田晴信に仕え、『勝山記』によれば天文17年(1548年)に信州上田原で村上義清と交戦した際に従軍する。しかし村上軍の猛攻により甘利虎泰、初鹿根伝右衛門らとともに討死した。
才間 河内守(さいま かわちのかみ、生年不詳 - 天文17年2月14日(1548年3月23日))は、戦国時代の武将、甲斐武田家臣。河内守は通称で、名は信綱。出自、本拠ともども不詳である。武田晴信に仕え、『勝山記』によれば天文17年(1548年)に信州上田原で村上義清と交戦した際に従軍する。しかし村上軍の猛攻により甘利虎泰、初鹿根伝右衛門らとともに討死した。