戸次 親繁(べっき ちかしげ、生年不詳 - 永禄10年9月3日(1567年10月5日))は戦国武将。豊後国の戦国大名大友氏家臣である戸次氏の一族。諱は親繁。通称は刑部少輔。実父は戸次親延(治部少輔)、養父は戸次親就(刑部少輔)。兄弟姉妹に戸次親宗(治部少輔)、小野鎮幸の妻(戸次道雪養女)、沓掛平左衛門の妻。夫人は戸次道雪の父である戸次親家の娘(臼杵鑑速の養女)。子は戸次鎮時(刑部少輔)、立花鎮実(右衛門太夫)、立花鑑貞(弾正忠)。実父の親延は天文20年(1551年)に肥前国小坂の戦いで戦死したために親延の家督は叔父の戸次親就が継ぎ、実子の親繁は親就の養子と......
戸次 親繁(べっき ちかしげ、生年不詳 - 永禄10年9月3日(1567年10月5日))は戦国武将。豊後国の戦国大名大友氏家臣である戸次氏の一族。諱は親繁。通称は刑部少輔。実父は戸次親延(治部少輔)、養父は戸次親就(刑部少輔)。兄弟姉妹に戸次親宗(治部少輔)、小野鎮幸の妻(戸次道雪養女)、沓掛平左衛門の妻。夫人は戸次道雪の父である戸次親家の娘(臼杵鑑速の養女)。子は戸次鎮時(刑部......