画像引用元: indoor-mama.cocolog-nifty.com応永の外寇
推定知名度20.31%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女
応永の外寇(おうえいのがいこう)は、室町時代の応永26年(1419年)に起きた、李氏朝鮮による倭寇討伐を名目とした対馬攻撃を指す。実際の戦闘は、対馬の糠岳(ぬかだけ)で行われたことから糠岳戦争とも言う。朝鮮では己亥東征()と言われる。当時足利義持が明使を追い返すなど日明関係が悪化していたこともあり、京都では当初これを中国からの侵攻と誤解したために、伏見宮貞成親王の『看聞日記』には「大唐蜂起」と記されている。朝鮮軍は彼らが「島賊」と称した宗氏武士団の少数の抵抗に手こずり、台風の接近もあって、漁村と船を焼き払っただけで10日余りで対馬から撤退した。明らかに戦果は不充分であり、朝鮮側もすぐに再遠征を議論したが、結局実現しなかった。朝鮮は以後二度と対馬に対する外征は行わず、土地を与えたり米を送ったりと鎮撫策に終始した。前期倭寇はそれ以前からすでに衰退傾向であったが、朝鮮が終息したと公式に判断したのはこの遠征の25年後の世宗26年(1444年)である。一方、侵略を受けた対馬はその後の朝鮮との交渉を通じて日朝貿易を独占し、朝鮮との唯一の窓口へと成長した。
過去の推移
15.8806
16.7907
17.1508
16.909
16.6510
16.2411
16.6812
16.8813
17.4614
20.7815
20.3116
