志摩八郎・辰巳柳子(しまはちろう・たつみりゅうこ)は、戦中から戦後期にかけての漫才師(夫婦漫才)である。目立った活躍がなかったが志摩八郎は漫才作家になり秋田實の右腕として活躍。戦前から地方を回って活動していたがわらわし隊に憧れ大阪で本格的に漫才の道に、1951年より宝塚新芸座に入る。八郎の洋服にヴァイオリン片手に演歌師のノンキ節を唸らせる音曲漫才、時折柳子はギターを持っていた。また秋田Aスケ・Bスケ、夢路いとし・喜味こいしらとともに青春ブラザーズという音楽ショウの一員でもあった。1958年に秋田實が「上方演芸」(後の松竹芸能)の設立に招かれ文芸部の課長から......
志摩八郎・辰巳柳子(しまはちろう・たつみりゅうこ)は、戦中から戦後期にかけての漫才師(夫婦漫才)である。目立った活躍がなかったが志摩八郎は漫才作家になり秋田實の右腕として活躍。戦前から地方を回って活動していたがわらわし隊に憧れ大阪で本格的に漫才の道に、1951年より宝塚新芸座に入る。八郎の洋服にヴァイオリン片手に演歌師のノンキ節を唸らせる音曲漫才、時折柳子はギターを持っていた。ま......