徽安門院一条(きあんもんいんのいちじょう、生没年不詳)は、南北朝時代の宮廷女官・女流歌人。本名は不詳。正親町公蔭の娘で、母は北条久時の娘。徽安門院寿子内親王(花園天皇皇女・光厳天皇妃)に仕えて一条局と名乗る。その後、光厳院の寵愛を受けて義仁親王(正親町宮)を産む。後期京極派の歌人で、興国4年(1343年)冬以前の院六首歌合に出詠。また貞和百首・延文百首にも和歌が収録されている。『風雅和歌集』以下の勅撰和歌集に22首入集。家集『徽安門院一条集』を残す。
徽安門院一条(きあんもんいんのいちじょう、生没年不詳)は、南北朝時代の宮廷女官・女流歌人。本名は不詳。正親町公蔭の娘で、母は北条久時の娘。徽安門院寿子内親王(花園天皇皇女・光厳天皇妃)に仕えて一条局と名乗る。その後、光厳院の寵愛を受けて義仁親王(正親町宮)を産む。後期京極派の歌人で、興国4年(1343年)冬以前の院六首歌合に出詠。また貞和百首・延文百首にも和歌が収録されている。『......