徳川 治興(とくがわ はるおき、宝暦6年11月25日(1756年12月16日) - 安永5年7月8日(1776年8月21日))は、尾張藩の世嗣。第9代藩主・徳川宗睦の次男。母は近衛家久の娘。幼名は慶之助。元服後、初めは父・宗睦より1字を賜って睦篤(ちかあつ/よしあつ)と名乗っていた。安永元年(1772年)、将軍徳川家治に拝謁し、従四位下左近衛権少将・兵部大輔に叙任する。翌安永2年(1773年)、兄の徳川治休が早世したため嫡子となり、家治の偏諱を賜って治興に改名し、従三位左近衛権中将に叙任する。安永5年(1776年)には鷹司輔平の娘・房君と婚約した。しかし治......
徳川 治興(とくがわ はるおき、宝暦6年11月25日(1756年12月16日) - 安永5年7月8日(1776年8月21日))は、尾張藩の世嗣。第9代藩主・徳川宗睦の次男。母は近衛家久の娘。幼名は慶之助。元服後、初めは父・宗睦より1字を賜って睦篤(ちかあつ/よしあつ)と名乗っていた。安永元年(1772年)、将軍徳川家治に拝謁し、従四位下左近衛権少将・兵部大輔に叙任する。翌安永2年......