徐星友(じょ せいゆう、1644年(順治元年)頃 - 没年不詳)は中国清朝初期の囲碁の棋士。浙江省杭州生まれ、名は遠。国手。黄龍士の弟子となり、康熙初年に周東侯を破り名を挙げた。黄と三子で打った十番の棋譜「血涙篇」が著名となる。康熙末年になって若い程蘭如に敗れて故郷で隠遁する。著書に「兼山堂奕譜」がある。また徐の対局は、当時の棋譜を集めた「奇青霞館」に多く収められている。
徐星友(じょ せいゆう、1644年(順治元年)頃 - 没年不詳)は中国清朝初期の囲碁の棋士。浙江省杭州生まれ、名は遠。国手。黄龍士の弟子となり、康熙初年に周東侯を破り名を挙げた。黄と三子で打った十番の棋譜「血涙篇」が著名となる。康熙末年になって若い程蘭如に敗れて故郷で隠遁する。著書に「兼山堂奕譜」がある。また徐の対局は、当時の棋譜を集めた「奇青霞館」に多く収められている。