後醍院 宗重(ごだいいん むねしげ、天文20年(1551年) - 寛永元年4月6日(1624年5月22日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。相良氏の家臣、後に島津氏の家臣。幼名は松童丸。通称は八郎、図書助、喜兵衛、官位は淡路守。入道名は淡斎。父は後醍院良任。妻は愛甲氏。子は高橋頼次、後醍院義信。
後醍院 宗重(ごだいいん むねしげ、天文20年(1551年) - 寛永元年4月6日(1624年5月22日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。相良氏の家臣、後に島津氏の家臣。幼名は松童丸。通称は八郎、図書助、喜兵衛、官位は淡路守。入道名は淡斎。父は後醍院良任。妻は愛甲氏。子は高橋頼次、後醍院義信。