画像引用元: upload.wikimedia.org後藤太兵衛
推定知名度20.18%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女
後藤 太兵衛(ごとう たへえ、慶長19年(1614年) - 延宝元年(1673年))は、加賀藩の石川郡 (石川県)|石川郡押野村(現・石川県野々市市押野)に住んで十村制|十村を務めた人物。諱は家泰。寛永20年(1643年)に先代・藤右衛門(とうえもん)の跡を継いで押野後藤家第3代当主となり、加賀藩より十村に任ぜられた。藩命により明暦元年(1655年)に泉野村を、万治元年(1658年)に泉野新村と泉野出村の田畑を私財を投じて開墾した。寛文11年(1671年)にも藩命を受けて長坂新村(現・金沢市長坂町)を創設するとともに、長坂新村を始めとする野田山山麓一帯の丘陵地へ、犀川 (石川県)|犀川の支流である内川を取水口とする灌漑用水(長坂用水)を引く工事の指揮に当たった。なお、野田山山麓一帯は、明治期まで石川郡に所属していたことから、明治21年(1888年)、当時の後藤家第11代当主・於菟吉(おときち)は、先祖・太兵衛の功労が少なくないことに対して、同郡長から銀杯を下賜されている。
過去の推移
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