待乳山 楯之亟(まつちやま たてのじょう、生年不明 - 1862年5月10日〈文久2年4月12日 (旧暦)|4月12日〉)は、入間川部屋及び待乳山部屋に所属した元力士。本名・身長・体重とも不明。。1860年2月場所で6勝2敗1預り (相撲)|預の優勝相当成績を挙げた。翌1860年10月場所より園部藩の抱え (相撲)|お抱えとなり、1861年10月場所で新入幕を果たした。この場所でも6勝3敗1休の好成績を挙げ、将来の躍進が期待されたが、翌1862年3月場所後の4月12日 (旧暦)|4月12日に急逝。死因等の詳しいことは不明だが、現役中より4代待乳山 (相撲)......
待乳山 楯之亟(まつちやま たてのじょう、生年不明 - 1862年5月10日〈文久2年4月12日 (旧暦)|4月12日〉)は、入間川部屋及び待乳山部屋に所属した元力士。本名・身長・体重とも不明。。1860年2月場所で6勝2敗1預り (相撲)|預の優勝相当成績を挙げた。翌1860年10月場所より園部藩の抱え (相撲)|お抱えとなり、1861年10月場所で新入幕を果たした。この場所で......