張 文虎(ちょう ぶんこ、''Zhang Wenhu''、1808年 - 1885年)。字は盂彪または嘯山、号は天目山樵。清の儒学者。江蘇省南匯県周浦出身。貢生となり、訓導に任命された。30年近く蔵書家の銭熙祚の食客となり、『守山閣叢書』『小万巻叢書』などの校訂にあたった。1871年、曽国藩の幕僚となった。『王船山遺書』の校訂にあたり、曽国藩から高く評価された。同治・光緒年間には『儒林外史』に評点を付けた。学問は戴震の学を尊び、「学の本源」とした。
張 文虎(ちょう ぶんこ、''Zhang Wenhu''、1808年 - 1885年)。字は盂彪または嘯山、号は天目山樵。清の儒学者。江蘇省南匯県周浦出身。貢生となり、訓導に任命された。30年近く蔵書家の銭熙祚の食客となり、『守山閣叢書』『小万巻叢書』などの校訂にあたった。1871年、曽国藩の幕僚となった。『王船山遺書』の校訂にあたり、曽国藩から高く評価された。同治・光緒年間には......