弁者(べんしゃ)とは、戦国時代において、弁論に長けて、論理をとことん追求した人物を呼ぶ名称である。同じ意味で察者とも呼ばれ、漢代では名家と呼ばれていた人々と同義である。斉の稷下の学士の中にはこの種の人物が多かった。稷下の他の学者との討論に勝つために、弁論術を磨いて論理を新たにしたのである。稷下の学士の中でも、兒説は白馬非馬説を唱えて他の学士を降参させたことで知られており、弁者とされている。
弁者(べんしゃ)とは、戦国時代において、弁論に長けて、論理をとことん追求した人物を呼ぶ名称である。同じ意味で察者とも呼ばれ、漢代では名家と呼ばれていた人々と同義である。斉の稷下の学士の中にはこの種の人物が多かった。稷下の他の学者との討論に勝つために、弁論術を磨いて論理を新たにしたのである。稷下の学士の中でも、兒説は白馬非馬説を唱えて他の学士を降参させたことで知られており、弁者とさ......