建春門院中納言(けんしゅんもんいんちゅうなごん、保元2年(1157年) - 没年不詳)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の女房・歌人。藤原俊成の娘。母は美福門院加賀。藤原定家の同母姉にあたる。この一家の例に漏れず才媛であった。通称は健御前(藤原定家『明月記』による)。女房名は中納言。出家後は九条尼と呼ばれた。仁安3年(1168年)に数え12歳で初出仕、建春門院に長く仕えて「建春門院中納言」と称され、建春門院の死後は八条院の女房に転じた。女房名は引きつづき中納言であったため「八条院中納言」と呼ばれた。その後、後鳥羽天皇の娘昇子内親王の養育にも携わった。最晩年に......
建春門院中納言(けんしゅんもんいんちゅうなごん、保元2年(1157年) - 没年不詳)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の女房・歌人。藤原俊成の娘。母は美福門院加賀。藤原定家の同母姉にあたる。この一家の例に漏れず才媛であった。通称は健御前(藤原定家『明月記』による)。女房名は中納言。出家後は九条尼と呼ばれた。仁安3年(1168年)に数え12歳で初出仕、建春門院に長く仕えて「建春門院......