座光寺 為時(ざこうじ ためとき、天文20年(1551年) - 寛永20年6月26日(1643年8月10日))は、信濃国伊那郡の国人領主。後に江戸幕府の旗本となる。座光寺為清の子。子に座光寺為重。号は帰慶。通称は次郎右衛門、九兵衛、内膳。はじめは武田信玄の伊那郡進出に従い、織田氏の甲州征伐により武田氏が滅亡すると徳川家康に仕える。天正13年(1585年)松岡城主松岡貞利が豊臣方に通じたことを菅沼定利に報告した。天正18年(1590年)小田原征伐後、徳川氏が関東に移されると上野国碓氷郡大竹に950余石を賜り、さらに30余石を加増される。慶長5年(1600年)......
座光寺 為時(ざこうじ ためとき、天文20年(1551年) - 寛永20年6月26日(1643年8月10日))は、信濃国伊那郡の国人領主。後に江戸幕府の旗本となる。座光寺為清の子。子に座光寺為重。号は帰慶。通称は次郎右衛門、九兵衛、内膳。はじめは武田信玄の伊那郡進出に従い、織田氏の甲州征伐により武田氏が滅亡すると徳川家康に仕える。天正13年(1585年)松岡城主松岡貞利が豊臣方に......