年 羹堯(ねん こうぎょう、1679年 - 1726年)は、清の康熙・雍正期の官人。安徽懐遠を原籍とする漢軍旗人。ジュンガルのチベット侵攻に対して、康熙57年(1718年)に四川巡撫から四川総督に進められ、チベットよりジュンガル兵を撃退した。妹は雍親王の胤禛(のちの雍正帝)の側室であり、年羹堯は皇位継承争いで雍親王の擁立に大いに貢献した。 雍正帝の即位後、太保に任じられ、また一等公爵に封じられた上、雍正元年(1723年)に撫遠大将軍としてチベットに遠征して青海ホシュートを制圧し、アムド地方(青海)を藩部とするなど第一次チベット分割を実施した。しかしチベット......
年 羹堯(ねん こうぎょう、1679年 - 1726年)は、清の康熙・雍正期の官人。安徽懐遠を原籍とする漢軍旗人。ジュンガルのチベット侵攻に対して、康熙57年(1718年)に四川巡撫から四川総督に進められ、チベットよりジュンガル兵を撃退した。妹は雍親王の胤禛(のちの雍正帝)の側室であり、年羹堯は皇位継承争いで雍親王の擁立に大いに貢献した。 雍正帝の即位後、太保に任じられ、また一等......