平 重衡(たいら の しげひら)は、平安時代末期の伊勢平氏|平家の武将・公卿。平清盛の五男。母は清盛の継室・平時子。三位中将と称された。平氏の大将の一人として各地で戦い、南都焼討を行って東大寺盧舎那仏像|東大寺大仏や興福寺を焼亡させた。墨俣川の戦いや水島の戦いで勝利して活躍するが、一ノ谷の戦いで捕虜になり鎌倉へ護送された。平氏滅亡後、奈良|南都衆徒の要求で引き渡され、木津川 (京都府)|木津川畔で斬首された。その将才は「武勇の器量に堪ふる」(『玉葉』治承5年閏2月15日条)と評される一方、その容姿は牡丹の花に例えられたという。
平 重衡(たいら の しげひら)は、平安時代末期の伊勢平氏|平家の武将・公卿。平清盛の五男。母は清盛の継室・平時子。三位中将と称された。平氏の大将の一人として各地で戦い、南都焼討を行って東大寺盧舎那仏像|東大寺大仏や興福寺を焼亡させた。墨俣川の戦いや水島の戦いで勝利して活躍するが、一ノ谷の戦いで捕虜になり鎌倉へ護送された。平氏滅亡後、奈良|南都衆徒の要求で引き渡され、木津川 (京......