平 盛時(たいら の もりとき、生没年不詳)は、鎌倉幕府初期の奉行人(幕府官僚)。源頼朝の右筆として知られている。通称は平五。官位は五位民部丞と伝わる。元暦元年(1184年)10月20日に問注所が設置された際には別当・三善康信の補佐に任じられていることから、それ以前より頼朝に仕えていたものと見られている。大江広元とともに頼朝の右筆を務め、広元が公文所や政所の別当の職務に多忙となると、後任の右筆は補われたものの、御教書・奉書などの重要文書のほとんどが盛時の手によって作成され、後に政所知家事として幕府公文書発給の責任者となった。頼朝が弟・源義経を追討した際に出......
平 盛時(たいら の もりとき、生没年不詳)は、鎌倉幕府初期の奉行人(幕府官僚)。源頼朝の右筆として知られている。通称は平五。官位は五位民部丞と伝わる。元暦元年(1184年)10月20日に問注所が設置された際には別当・三善康信の補佐に任じられていることから、それ以前より頼朝に仕えていたものと見られている。大江広元とともに頼朝の右筆を務め、広元が公文所や政所の別当の職務に多忙となる......