幟子女王(たかこじょおう、天保6年11月1日(1835年12月20日) - 安政3年11月7日(1856年12月4日))は、水戸藩第10代藩主・徳川慶篤の正室。有栖川宮幟仁親王の第1王女。12代将軍・徳川家慶の養女。幼称は線宮(いとのみや)。養女となったため、武家風に線姫ともいわれる。院号は線教院。諡号は順貞夫人。
幟子女王(たかこじょおう、天保6年11月1日(1835年12月20日) - 安政3年11月7日(1856年12月4日))は、水戸藩第10代藩主・徳川慶篤の正室。有栖川宮幟仁親王の第1王女。12代将軍・徳川家慶の養女。幼称は線宮(いとのみや)。養女となったため、武家風に線姫ともいわれる。院号は線教院。諡号は順貞夫人。