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常盤山小平治

推定知名度0.17%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

常盤山 小平治(ときわやま こへいじ、1826年〈文政9年〉 - 1869年10月2日〈明治2年8月27日 (旧暦)|8月27日〉)は、常盤山|常盤山部屋及び玉垣 (年寄名跡)|玉垣部屋に所属した元力士。鷲ヶ濱音右エ門の岳父に当たる。本名,身長,体重は不明。出身地は現在の長崎県南島原市(旧・肥前国高来郡)。最高位は西関脇。1851年4月~1852年閏2月は八戸藩,1852年11月以降は島原藩のお抱え (相撲)|抱えだった。岳父が自殺して嫌疑を受けたので脱藩したが途中で大名行列|参勤行列と出合い、運良く同郷の者が居たので一行に加えてくれるように頼み、怪力を買われて駕籠担ぎとして加わった。江戸に出てからは仲間として働いていたが怪力を見出され、勧誘されて入門した。1846年3月初土俵(序ノ口)。1853年11月東幕下|二段目9枚目にあがり、現在でいう十両|十枚目昇進を果たす。1856年11月新入幕。幕内に入っても順調に白星を重ね、1860年11月新三役(西小結)に昇進した。そこから9年・18場所連続に渡って三役を務め、強豪力士として鳴らした。堅太りの小兵で、巧い取り口だったと伝わる。1862年3月に関脇に昇進。雲龍久吉に強く、実力大関だったが、番付運が頗る悪く遂に大関昇進は叶わなかった。1866年11月に8代常盤山を襲名し、二枚鑑札となった。1869年8月27日 (旧暦)|8月27日に現役中のまま死去。44歳だった。幕内通算26場所 99勝33敗93休13分5預の成績を残した。全勝だった。〉十両1回〈1853年11月〉)の好成績を残している。酒豪で物事に無頓着であり、常に文無しだった。「裸関取」というあだ名もあった。改名歴は2回ある:簑島 邦五郎 → 鷲ヶ濱 音右エ門 → 常盤山 小平治(鷲ヶ濱時代が最も強かった)

過去の推移