画像引用元: upload.wikimedia.org常大淳
推定知名度0.09%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女
常 大淳(じょう だいじゅん、Chang Dachun、1792年 - 1853年)、字は蘭陔は、清朝の官僚。湖南省衡陽出身。1823年に進士になり、編修となった。その後、福建督粮道、福建按察使代理、浙江塩運使、安徽按察使、陝西按察使、湖北布政使を歴任し、1850年に浙江巡撫となった。1851年、寧波に自ら赴いて海賊の布興を降した。1852年、湖北巡撫に異動となった。当時、太平天国軍が北上して長沙を攻撃しており、湖北省と湖南省の兵は長沙に集中していた。そのため千人の兵しかいなかった岳州は陥落し、続いて太平天国軍は武漢三鎮に向かった。武漢には兵は5千しかおらず、頼みとしていた陝甘兵はいまだ来なかった。太平天国軍は先に漢陽を陥落させ、武昌を攻撃した。向栄が湖南省から援軍に駆けつけたものの太平天国軍に阻まれた。そして太平天国軍はトンネル作戦で武昌を陥落させ、常大淳は自殺した。朝廷は総督の待遇と文節の諡号を贈った。
過去の推移
–06
–07
0.0908
0.1409
0.1410
0.1411
0.1412
0.0913
0.0914
0.0915
0.0916
