師岡 重経(もろおか しげつね、生没年未詳)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活動した武将。諱は重保(しげやす)とも。武蔵国師岡保(現在の横浜市神奈川区)を本拠地とする鎌倉幕府の御家人。葛貫能隆の三男で、河越重頼の弟。桓武平氏の流れを汲む秩父氏の一族。保元元年(1156年)7月、兄・重頼と共に保元の乱で源義朝の陣に従う。治承4年(1180年)義朝の遺児・源頼朝が挙兵したのち傘下に入り、頼朝の嫡男・源頼家が誕生した際に鳴弦役を務めている。寿永3年(1184年)8月6日、一ノ谷の戦い後に頼朝の弟、源義経が鎌倉の許可無く朝廷から検非違使の任官を受け、頼朝の......
師岡 重経(もろおか しげつね、生没年未詳)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活動した武将。諱は重保(しげやす)とも。武蔵国師岡保(現在の横浜市神奈川区)を本拠地とする鎌倉幕府の御家人。葛貫能隆の三男で、河越重頼の弟。桓武平氏の流れを汲む秩父氏の一族。保元元年(1156年)7月、兄・重頼と共に保元の乱で源義朝の陣に従う。治承4年(1180年)義朝の遺児・源頼朝が挙兵したのち......