川口 宗恒(かわぐち むねつね、寛永7年(1630年) - 宝永元年5月8日(1704年6月9日))は、江戸時代の旗本。通称は源左衛門。官位は従五位下摂津守。父は川口宗次、母は朽木宣綱の娘。妻は菅谷範重の娘。妹に服部信成室。子に宗直、菅谷政房(範重の子の菅谷政照養子)。延宝8年(1680年)3月25日、長崎奉行(25代)となる。オランダ商館の医師のエンゲルベルト・ケンペルと親交があり、彼の著した「江戸参府旅行日記」には、宗恒のことを温厚な人物であるが、職務には厳しいと書かれている。元禄3年(1690年)、従五位下摂津守に叙任し、元禄6年(1693年)12月......
川口 宗恒(かわぐち むねつね、寛永7年(1630年) - 宝永元年5月8日(1704年6月9日))は、江戸時代の旗本。通称は源左衛門。官位は従五位下摂津守。父は川口宗次、母は朽木宣綱の娘。妻は菅谷範重の娘。妹に服部信成室。子に宗直、菅谷政房(範重の子の菅谷政照養子)。延宝8年(1680年)3月25日、長崎奉行(25代)となる。オランダ商館の医師のエンゲルベルト・ケンペルと親交が......